


教科書にカバーをかける
まず、まっ先に思うこと、「物は大事にする」
大事に扱えば必要のない手間だし、物の傷みは避けられるし手間も要らない、大事に使えばいいだけなのにと不思議な儀式がこれ。
文系分野、理系分野、英語、宗教にそれぞれテキストがあり、さらに前期、後期とあるものまである。教科書とは別にワークブックがあったり、学期ごとの課題図書なんかにもかけるので、年間20冊分くらいはかける。
そもそも3月から11月末までしかない年度のうちの半期だから実質4ヶ月、そんなに傷むものでもないでしょうとお思いのみなさん、けっこうギリです。角なんかは削れて外れかける。物を大事にしろと口酸っぱく言われる家庭で育っても意外と傷む。


基本的に教科書類は学校に置くことはなく毎日持ち帰るので、カバンに入れて追いかけっこしながら遊びながら振り回しながら持ち運ぶのも傷む要因か。
ノートにもかける
要領は同じ。科目名と自分の名前がわかるようにラベルを貼ろうね。
・教科で色分けされているので、指定の色が手に入らなかった場合は無地の包装紙状の色紙を挟む。
・教科、クラス、氏名を書く。お名前シール的なものを利用すると便利。カバーの内側かつノート本体に貼るので、コピー用紙に家庭用プリンターで印刷したものでも十分。糊で貼ればいいだけ。
・デコレーションする。してもいい、ではなく、した方がいい。キャラクターのシールやキラキラしていたり模様のついてるテープかなんかで盛る。理由は分からない。せっかくの色分けも文字も見づらくなるのではと思うが、かけた手間と愛は比例するという暗黙のローカルルールがある気がする。シンプルは悪なのかもしれない。
・シールなどの粘着面が剥がれてカバーに悪さをする、それならと簡易的に貼るとカバー内で外れる、擦れやすいところから損傷する→カバーをかけ直す、カバー意味あるのかな、とは考えないようにする。
連絡帳にもかける
市販の小さめのノートをそのまま用いる、学校指定の専用の連絡帳があるなど仕様はあるものの、カバーはかける。
専用ならば学校名や氏名などの欄はあるけれど、生徒の写真を貼るタイプが多い。写真を貼ってからカバーをかけるが、頑張ってきれいにかけてもあとからクラスや生徒番号などをカバーの上にクラスのアシスタントの先生が雑にセロテープなどで貼られてちょっと傷つく(主に心)、でもやってくれるだけありがたいのかも知れない。
リングノートはかけづらくカバーが傷みやすい。時間割りに関係なく行事だけの日も試験期間も持参するのでもっとも過酷。角の補修でどうにもならなくなったらかけ直す。あとから貼られたものはこの機会に、該当部分をハサミで切って今度こそカバーの内側に貼る。
辞書(スペイン語辞典、西英辞典)、聖書
同様にカバーをかけるが、これらは何年も同じものを使うので、今頑張ればずっと使えると気持ちを励ましながら臨む。
教科書やノート類とサイズが違うせいか、使用頻度のわりには傷む。結局定期的にかけ直すことになる。製本が脆弱で数年で買い直す羽目になることもあるがその際はやっぱりそれにもカバーをかける。
物にも気持ちは通じるの?
日本には八百万の神様がいると言われるくらいだから、おおきな意味ではこれも宗教観かもしれないけれど物にも魂がある、物にも気持ちがあるのだから大事にしよう、これは日本的な考えなのでしょうね。
全てのものに神が宿るとは素敵なような、全てに神経を使わなくてはいけないとすれば息苦しくもあるような。
さほど自由に手に入らない物、シーズンが外れると見かけない物、買うと地味に高い物なんかも扱いがけっこう雑。「面倒くさい」が「また買えばいいや」と競り合って負けるのかもしれない。借りた物をうっかり汚してしまったり壊してしまったりしても、「まあ仕方ない」と許してくれることもあるけど、自分が貸すときは気をつけてね。それでもいいと思う物だけ貸すか、他人が大事にしている物は私にとっても大事な物だという認識がある人だけに貸そうね。
ペルー人とはこんな人、と主観と言えど簡単に言いきることはできなくて、当然いろいろな人がいるわけで、人間のお姉ちゃんの事例だと

それで、そんなことは知らない彼女の家族がゴミと間違えて捨てちゃった…
借り物とは知らなかったにせよ、それってどんな状況?と気になるところだけれど、謝ってはくれたそう。
貸し借りではないのだけど、思わぬ事故が起きたときの事例という点でその2

先生が帰りにその子のママに話して、ママは謝ってくれたけど本人は終始ヘラヘラしていた!
幸いジュースでもココアでもなく水だったし、もちろん故意ではなく、乾けば文字が読める程度だし、何より誰にでも起こし得る事故だからとそれくらいの認識でいたのだけれど、ある日帰宅すると


新学期始まる直前以外で入手困難な本!まだ売ってるの!?
で、なんでぬいぐるみ!?


代替品とお詫びの品とは日本的な対応だなと意外だったのだけど、たまたま共感性の高い人だったのか、どこかで日本で理想とされる対応をきいたことがあるのか。
これには「今回はたまたまあなたの子がそうだったけれど、私の子が同じ事故を起こしても不思議はない、あなたの子に過失はありません、新しい本を探してくれたあなたの行動に満足ですよ、お互い様ですから気にしないで」という趣旨の手紙とお菓子を持たせる「日本的対応返し」をしたのだけど、多分多くの場合は言葉で謝罪するだけ、過失が明確で金額もはっきりしていれば現金で、ちょうど同等の物が手に入ったら買って返す人もいるかもしれないけど何としても探し出してまで買わない、ほぼほぼの人はお詫びの品まで思うに至らない、ましてや本人に希望を聞くなんて、奇特な人もいるものだ、くらいの割合ではないかと思う。
親に直接聞いたら断られるから子供に聞くという、確信的卑怯な気遣いが日本的すぎてさらにびっくり。

南米では絶対謝らないと書いてあるところもあるけど、それはその人にとって謝るべきレベルのものではないと思うからであり、悪いと思えばもちろん謝る。もちろん屁理屈や言い訳で罪から逃れようとする人もいるけれど、割合としては少数派な印象(私調べ)。
ありがとう、ごめんなさい、お願いしますを言いなさい、挨拶しなさい、相手を尊重しなさい、この辺りは幼稚園なら試験に出るくらい、しつけや習慣として教えられていることなので、それでも謝らない人は、まともな環境でまともな教育が受けられなかった人だと思って付き合わないのがいちばんです。どこにでも相手の気持ちを慮る人はいるし、保身に徹する人もいる、というお話。


